とはね起きてみると、母から押えられてるのだった。
「何をするんです。お前さんは……兄さんに向って……。さあお謝りなさい。謝らないと、わたしが承知しませんよ。酔払って、ここをどこだと思うんです。」
 母の言葉はやさしく僕の耳に響いた。僕は本当に酔払った気がした。母の前で酔払ったのは全く久しぶりなんだ。
「ええ、謝るよ、いくらだって。僕は本当にお母さんが好きだ。お母さんくらいいい人は……好きな人は、天下広しと雖もか……ねえお母さん。」
 ふらりふらりと舟をでもこぐような調子に、僕はお辞儀をしてみせた。そのためか、頭の酔がかき廻されて、意識がぼんやりしていった。
 それから僕は、餉台のふちにしがみつきながら、兄のしつっこい悪罵と叱責とを、下手な音楽をでも聞くような風に聞いていた。その太い言葉を、母の細い嘆声が伴奏していた。と、伴奏の方が突然はっきり浮き出してきた。
「ほんとに、この子は誰に似たんでしょう。」
 僕はふっと頭を挙げた。
「そりゃあ、分ってるさ。父親に似たんだ。僕の知らない、誰も知らない、天の父親にか……ねえお母さん。」
 その酔った時の口癖の、ねえお母さんがいけなかったらしい。
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