出し、また繰り返して、眺めたり読んだりする。
「お母ちゃん、あのね、あたしが学校にゆくと、お母ちゃん淋しいでしょう。」
台所から信子が返事する。
「今から、そんな、生意気なこと言うんじゃありません。」
喜久子は首をすくめて、また絵本に見入るのである。
――吉岡は酒をぐいぐい飲んだ……。信子よ、私はだいぶ酔ってきた。だが、これを飲んでしまいたい。そして散歩に出よう。雲が切れて、夕日がさしてきた。夕日の中を歩きたいのだ。然し、あなたを訪れに行くのではない。実は行きたいのだが、なにか憚られるのだ。私は卑怯なのだろうか。高須君の戦死を聞いて、一度、仏前におまいりしたきり、御無沙汰をしている。本来なら、時々伺う筈だ。然し、私は敢て非情になろう。あなたに対する嘗ての愛情が、まだ胸うちにくすぶっているし、私のその愛情を、あなたも記憶している筈だし、しばしば往き来しているうちには、どういう結果になるかも知れないと、それが恐れられるからだ。そういう例は、所謂戦争未亡人に多々ある。私はそういうことが嫌いだ。固より、現在私は自由の身であるし、あなたも現在は自由の身であるし、愛情関係を心配する必要はない
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