。然し、私は高須と友人だった。その一事のために、高須の妻だったあなたを愛することを恐れるのだ。高須が私にとって未知の男だったら、何でもないが、友人だったために、もしも私とあなたと愛しあった場合、高須のことが私たちの愛情に投影することを怖れるのだ。これは台風な考え方かも知れない。或るいは新らしい考え方かも知れない。いずれにせよ、私にはその怖れが大きい。あなたに対する愛情の再燃の可能性も大きい。だから私は敢て非情になろう。そしてその非情によって、母たるあなたを尊重し、あなたの娘の喜久子さんを尊重したい。このことを許容し得るほど、母たるあなたが強いことを、私は信じ且つ祈る。
 信子はいつも、仕事を大切にし丁寧にしている。仕事というのは、表に小さく看板を出してる御仕立物のことで、それによって細々と生活してるのである。
 新らしい仕立物は言うまでもなく、着物の縫い直しまで、彼女は丹念にやる。仕上げると、仕附糸まで仔細に見調べた上、折目正しくたたんで、錦紗の風呂敷につつみ、胸高く手で抱えて、依頼先へ届けに行く。
 街路には、銀杏の黄色い葉が散り敷いている。その上を彼女は、吾妻下駄で小股に歩いてゆく
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