るんですか。」
「私はまだ借りるとも借りないとも云いやしません。」
「こちらでもまだ、貸すとも貸さないとも云ってやしません。ただその前に、君の意志をはっきり聞いておきたいんです。」
「一体あなたは、此処の家の方ですか。」
「いや……一寸知り合いの者です。」
「それじゃ、御主人は?」
「不在です。だから私が代りにお話してるんです。」
 辰代は襖の影から一歩踏み出しかけたが、学生の言葉に喫驚して、また身体を引籠めてしまった。
「それではまた来ます。」と向うの男は云った。
「そして室はどうするんです?」
「考えてからにします。」
「其処で考えたらいいでしょう。何もむずかしいことではないんですから。」
「じゃあ借りません。」
「では破約しますね。」
「破約ですって……私はまだ借りると約束した覚えはありません。」
「そんならそれでいいです。お帰りなすって構いません。」
「そうですか。」
 そして手荒く閉める格子の音が聞えたので、辰代は何ということもなしに、慌てて飛んで出た。学生は平気で振向いた。
「やあ、すっかり聞いていられたんですか。」
 辰代は表の方を覗き見ながら云った。
「あなたあんなこと
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