自身に対する、軽い腹立ちまぎれに、がちゃがちゃと用をし初めた。それを見て澄子は、またいつもの癖が初まったなという顔付で、そして素知らぬ風を装って、奥の室の隅っこへ行って、雑誌なんかを繰り拡げた。
所が澄子の杞憂は、それから一時間半もたたないうちに、意外なことのために打消されてしまった。
表の格子戸の音がして、何やら人声がするようだったので、辰代は一寸小首を傾げたが、濡手を拭きながら急いで出て行った。そして玄関の茶の間の入口に呆れたように立ち止った。その姿を見て、澄子も立っていった。先刻の学生が、玄関の障子を二尺ほど開いて、その向うに立っている誰かと対談しているのだった。
「そして君は、」と彼は云っていた。「本気でここの室に落着くつもりですか、それとも、一時かりに越してくるつもりですか、どちらです?」
「なぜですか。」と相手は尋ねた。
「朝一食だけで、午《ひる》と晩とは、自炊をするか他処《よそ》で食べるかしなければならないし、そういう不便を忍んでまで、あの狭い四畳半に落付くというのは、特別な事情のある者ででもなければ、一時の気紛れに過ぎないでしょう。それとも君には、何か特別の事情があ
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