井は棒のように立竦んだ。
「何をなすっていらっしゃるのです?」
 見据えられた眼付を、身体を固めてはね返していたが、やがて今井はふわりと女着物を脱ぎすて、棒縞の寝間着一つになって、押し伏せられるように其処に坐った。辰代は澄子の着物を、片手を差伸して引寄せ、それから前腕に抱え取った。その威猛高な立像の前に、今井は頭を垂れて、一語一語に力をこめながら云った。
「私はお願いがあります。澄子さんを……私に下さいませんか、私と結婚を許して下さいませんか。一生、命にかけても、私は澄子さんを愛してゆきます。許して下さい。一生のお願いです。」
 辰代はぶるぶると身を震わして、なお一寸つっ立っていたが、くるりと向き返って縁側に出で、さも忌々しいといったように、澄子の着物を打ちはたき、それを奥の室の隅に投げやり、玄関の室との間の襖を、手荒く閉め切っておいて、また蚊帳の中にはいって来た。そして、布団の上に坐ってる澄子へ、叱りつけるように云った。
「早く寝ておしまいなさい!」
 澄子は驚いて布団の中にもぐり込んだ。母が今井の言葉に対して一言も云い返さなかったのが、異常な恐ろしいことのような気がした。母が息をつ
前へ 次へ
全84ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング