せん。」と云って今井は鼻の涙をすすり上げた。
「だってあなたは……。」
「いえ、何でもありません。」
「そんならいいけれど……。」そして彼女はまた繰返した。「御免なさい、ねえ。私には何にも分らないんですもの。」
今井はぴょこりと頭を下げた。
「私の方が悪いんです。あなたは全く純潔です。ただ、愛のことを考えといて下さい。すぐに分るんです。ほんとに考えといて下さい。」
「ええ。」
「屹度ですね。」
「ええ。」
それから、今井は黙り込んで、いつまでたっても石のように固くなっていた。澄子は立上って、自分でも訳の分らないことを考え込みながら階下に下りていった。
奥の室で、箪笥の中を片付けていた母に、ぱったり顔を合して、その顔をぼんやり見つめると、澄子ははっと夢からさめたように、頭の中がすっきりして来て、今井と交えた滑稽な会話が、まざまざと思い浮べられた。そして急に可笑しくなって、其処に笑いこけてしまった。
辰代は呆気《あっけ》にとられた。
「澄ちゃん! どうしたんですよ。狂人《きちがい》のように笑ってばかりいて!」
「だって可笑しいんですもの。」
「何が?……どうかしましたか?」
笑い
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