から、つまらないわ。」
 今井は暫く黙っていたが、ふいに云い出した。
「私はあの人が嫌いです。皮肉ばかりで固めたような感じがしますから。」
「だって、皮肉な人は頭がいいんでしょう。」
「頭が悪くて皮肉な人だってありますよ。勿論中村さんは頭がいいようだけれど……。この室に来た当時は、そりゃあ変な気がしたもんです。妙にあの人から圧迫されるようで……。第一こちらは、この通り粗末な室だし、向うは立派な八畳の座敷でしょう。それが、壁一重越しで、縁側続きなんだから、まるで私はあの人の徒者といったような感じです。向うの物音が気になって仕方なかったんです。それでも、負けてなるものか、反抗してやれ、という風に心を持ち直して、それからだんだんよくなって、もう今では、こちらが主人で向うが従僕だと、平気で落付いています。」
 澄子は驚いて彼の顔を見つめた。その視線を眼の中に受けると、彼は俄に狼狽の色を浮べた。眼を外らして、煙草に火をつけて、煙草の吸口を親指の爪先で、ぎゅっと押し潰し押し潰しした。そして云った。
「こんなことは、人に云うべきことじゃありませんが、あなただから云ったんです。誰にも云わないで下さい。
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