くなる頃には、しなしなと押伏せられてしまった。三度やったが三度とも負けた。「右は駄目です、左でしましょう、」と彼は云った。そして左の腕相撲では、澄子は一たまりもなかった。右手まで手首に添えても、やはり彼にかなわなかった。彼はただにこにこ笑っていた。――或る晩、中村が病院に泊って来ることになってた時、夜遅くなって、裏口に何かしきりに音がした。玄関の茶の間にいた辰代は、うとうと居眠りながらも、耳ざとくそれを聞きつけた。ことことと戸を指先で叩くようなその音は、間を置いてはまた響いてきた。鼠にしては余り根強すぎ、犬にしては余り規則的すぎる、一寸怪しい物音だった。辰代が耳を傾けているのを見て、其処にいた澄子も今井も耳を傾けた。暫くして、「戸締はしてあるでしょうね、」と辰代は不安げに尋ねた。してある筈だと澄子は答えた。「でも何だか怪しいわ。今井さん、見て来て下さらない?」と彼女は云い出した。今井はすぐに立上ったが、奥の室から薄暗い台所の方を覗き込んだばかりで、先へ進もうとはしなかった。「ほんとに意気地《いくじ》なしね、」と澄子は怒ったように云いながら、後から立ってきて、いきなり今井を台所へ押しやり
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