出ていった。見ると、学生は首を垂れて考え込んでいた。その顔をひょいと挙げて、辰代の視線にぶつかると、すぐに眼を外らして、いきなり一つお辞儀をした。
「私は何か悪いことをしたんでしょうか。悪いことをしたんでしたら、いくらでも謝ります。」
「いいえ、そんなわけではございませんが……。」
 辰代は口籠りながら奥の室を顧みた。
「それでは私に室を貸して頂けますでしょうか。」
 その懇願するような眼付を見て、辰代は心の据え場に迷った。そして助けをかりるような気持で、奥の室の娘の方へ呼びかけた。
「澄ちゃん、お茶でもおいれなさいよ。」
 澄子が立って来て、お辞儀をすると、学生は眼を見張った。
「あの、どなたかお家の方ですか。」
「娘でございますよ。」
「あそうですか。失礼しました。」
 彼はきちんと坐り直して、とってつけたように低くお辞儀をした。その様子を下目にじろりと見やって、澄子はくくっと忍び笑いをした。辰代はその袖を引張った。
「この方が二階の室を借りたいと仰言るんですが……。」
 云いかけた所を、澄子の笑ってる眼付で見られて、辰代は自分の余《あんま》りな白々しさが胸にきて、文句につまってし
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