ちのことは僕は知らない。だが、世の中は穢いものであり、穢い中にこそ本当の人間性があるのだとしたら……どうなるんです。個人主義の理想主義は一種の眼鏡にすぎないとしたら……。」
「君の云うのはよく分る。然しそれは自分の船を焼き捨てない前のことだ。一度船を焼いてからは、個人主義だの、理想主義だの、そんなところにうろついてることは出来ない。もっと切端つまった戦だ。現実と云うものは、見て取られるものではない、戦い取るべきものだ。それが出来なかったら、死ぬより外はないだろう。」
 島村の声の調子は異様に静かだった。宮崎はそれに耳を澄しながら、また足音に聞き入った。じっと足先に眼を落して、いつまでも黙っていた。
「本当に愛するか、憎むか、どちらかだ。中途半端なところは、君の文学に任せておけばいい。」
 宮崎はまだ黙っていた。公園をぬけて、寝静ってる街路に出ると、遠くに犬の声がした。
 宮崎のアパートの前まで来て、島村は立止った。
「気をつけ給え。」
 それきりで、彼は立去っていった。宮崎はそこに佇んで、腕を組んだ。

     三

「笹本」のおけいからばかばかしいことを頼まれて、私は弱った。――宮
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