をはじめ種々の上層階級、つまり貴族階級が、一般民衆の中に埋没されようとするに当って、諸君は、貴族もみな平民になるのだと考えてはいないか。だが、これを逆に、平民もすべて貴族になるのだとなぜ考えてはいけないか。寧ろそう考えるべきではあるまいか。単に身分階級のことではなく、心の持ち方について言うのである。
 ――また戦時利得税や財産税や、各種の補償凍結や耕地制度改革などについて、すべて徹底的な立案が要望され、富の平均的再分配が要望されているが、この問題について諸君は、富者が無くなることをのみ快哉としてはいないか。だが貧富は互に相対的なものであるからして、富者もみな貧者になるというよりも、貧者もみな富者になるのだと、そう考えてはなぜいけないか。寧ろそう考えるべきではあるまいか。単に所有物のことではなく、生活の心構えのことを言うのである。
 ――ところで、茲に提出されたような考え方は、恐らく諸君には出来ないだろう。如何なる場合にも、特権者が非特権者となり、高い者もすべて低い者となるとしか、諸君には考えられないのだ。非特権者が特権者となり、低い者もすべて高い者となるという、そういう考え方は、諸君の囚われた理性を昏迷さすに違いない。何に囚われてるかというと、デモクラシーという言葉にだ。だから諸君の政治的運動を反省してみ給え。すべてこれ、真の政治的運動ではなくて、単なる政権運動であり、成り上ろうとするあがきではないか。デモクラシーに於ける人権の尊重は、すべての者が特権を持ち、すべての者が高きに位置する、そこの所から初まらねばならぬことを、まだ諸君は理解していないし、ただデモクラシーという言葉の皮相な響きにのみ囚われているのだ。
 ――そういう諸君には、高い低いとかいう言葉が恐らく不愉快に聞えるだろう。然し人間としての人格のあり方について向上発展があるとすれば、高い低いは最も端的な明瞭な表現であって、万人に理解され得るものであろう。そしてこの表現の中に、理想主義の実質が含まれている。理想主義的なものを凡て失ったデモクラシーなどは、豚のそれに過ぎない。
 ――右のような設問や非議は、或は乱暴と思われるかも知れない。然しこの乱暴を敢て為す所以は、人々の思想が、宛も水の如く、低きへ低きへと就きたがるからに外ならない。こういう傾向は、敗戦にふさわしいものであるかも知れないが、何かを建設せんと
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