沈め、数分たって引上げれば、網の中には多くの蝦が群れている。この密漁の手長蝦を芝蝦の代りにして、お好み焼の材料に使い、客に売りつけた男があったが、これなど沙汰の限りと云うべきであろうか。
不忍池の鰻は、なお一層、その道の人には有名である。田端の方から根津の低地をへて、不忍池に流れこむ川があり、これが今は暗渠となって地下に隠れているが、その川水が池に注ぎこむところに、水門が設けてあり、そこに大きなマンホールがある。夜中にこのマンホールの蓋をあけて、勇敢に中にはいりこみ、水門口に網を仕掛けておけば、数時間にして笊一杯ほどの鰻が捕れる。尤も、降雨後などの特殊な事情で、鰻がやたらに活動する時に限るのである。――この大胆不敵な密漁の鰻を、知らずして、料理屋などで食べた者も多かろう。だが密漁者たちは、決して幸福には終らなかったとかいう。マンホールの中の幸福など、どうせ悪魔的なものに違いない。
君子は……と云えばおかしいが、道を楽しむ者は、収獲の多きを望まない。二三びきの小魚を楽しむ子供等に似ている。釣りをたしなむ人に之を聴こうか。
信州の佐久郡あたりでは、稲田に鯉を飼う。植付けの後、鯉の子を水田に放せば、秋までには五六寸になる。それを池の中で冬を越させ、翌年また水田の中に放せば、その年の秋までに、料理に程よい大きさとなる。餌には乾燥蛹をやる。蛹を食って育った養殖鯉も、数週間、清冽な池水の中に泳がせておけば、河中に育ったのと同様の美味になるのである。――この二年目の鯉が放たれてる水田は実に賑かで畦道を伝って歩けば、魚群の泳ぎ逃げる水音が津浪のように聞える。
水田の中に群れてるこの鯉が、大雨の為などで、水口の梁が破けたり畦が壊れたりすると、川の中に多く逃げ出すことがある。鯉をめあての釣師がくさるのは、そういう鯉に出逢う時である。水田で蛹を与えられてのんびり育った鯉ゆえ、前後の弁えもなく餌に食いつき鉤にかかる。そういうのを釣りあげるのは釣師の恥としてある。彼は舌打ちしてもう釣りをやめる。水田から出て来た鯉が河中の生活に馴れ、相当狡猾になるまでは、その辺で釣りをすることをひかえるのである。釣りの楽しみは単に獲物を得るだけの楽しみではないと、真の釣師は云う。
K
呉清源の随筆集「莫愁」はたのしい書であるが、その中に、私が愛誦する歌が紹介されている。
古昔、舜帝
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