ことには政治にまで応用されることがあるようになったのは、何の罪であろうか。斯かる政治は、民衆の知慧をして政治から離反せしむるの結果をしか齎さないであろう。

      G

 千九百三十一年のこと、南仏の地中海沿岸で冬を過した二人のパリー婦人が、復活祭後、パリーへ戻ることになった。その一人、D夫人は自動車で行くことにし、も一人のB夫人は、マルセイユの親戚を訪れるため、汽車で行くことになった。ところが、D夫人には一匹の愛猫があった。精悍放縦な美しいシャム猫でアユーチアと呼ばれていた。このアユーチアは自動車が嫌いで、その代り汽車をさほど嫌がらない。そこでD夫人は、それをB夫人に託した。空色の籠の中に、柔かな綿を敷き、そこに猫をとじこめてこまごまと依頼した。B夫人はそれを受取り、身に代えて大切にしてやると誓った。
 然るに、そのアユーチアが姿を消したのだ。B夫人がマルセイユの親戚の家に着いて、籠からアユーチアを出してやろうとすると、驚くべきことには、美事なシャム猫の姿は見えず、汚い灰色のどら猫が、のっそりとはい出して来た。
 全く腑に落ちない事件だった。空色の籠はまさしくD夫人から預ったままのものである。途中で何者かが、全然同様な籠とすりかえたのであろうか。或は、中の猫だけをすりかえたのであろうか。それとも、あのアユーチアがどら猫に化けたのであろうか。その謎は解かれずに終った。
 ――この話は全く事実である。この事のために、D夫人はB夫人と諍いを生じ、D夫人は弁護士に依頼して、B夫人を相手取り、愛猫喪失の慰藉料を請求した。その記録まで残っている。D夫人は後で思い直して、その訴訟を取下げはしたが、一時はかっとなって訴訟にまで及んだことに、シャム猫の主人公たるパリー貴婦人の面目が窺われないでもない。
 日本では、猫はその死にぎわに失踪して決して死体を人に見せないと、昔から云い伝えられている。然し当節では、猫も人の看護を受けながら、畳の上、布団の上で、安らかに息を引取る。猫に通力が無くなったのであろうか。否、事実は、昔の猫は病苦のあまりやたらにうろつき廻り、そこらの藪の中や物陰に我と我身をつきこんだものだったが、当節では、文化的看護の方を信頼するようになったのであろう。文化の進歩に依る――遺憾ながら――猫性の退歩である。

      H

 私は或る夏、大阪府下の或る教護院
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