は、意識的理性の拘束を排し、修辞学的な配慮を拒けて、吾々の精神世界に「存在する」思想そのものの独自な動きを、ひたすらに追窮し、精神本来の働きを自動的に記述しようとする。その結果、作品が理性にとって難解或は不可解なものになろうとも、それは敢て問題とするに足りない。
 また、マルセル・プルーストは、内部世界の深淵から、記憶の連鎖を辿って、あらゆるものを掬いあげてき、一杯の茶の香りからさえ、無数の事柄を意識の表面によび戻し、「私」自身を宇宙全体の域にまで拡大する。その結果、一人の少女に出逢って、それに言葉をかけるまでの間に、百頁を満すほどの雑多な事柄を堆積しようとも、それは問題とするに足りない。この「記憶の連鎖」を、ジェームス・ジョイスは「意識の流れ」で置きかえて、過去と現在との境界を更に撤廃し、距離の観念を抹殺して、自由奔放な意識の動きを追求する。その結果、全く句読点のない文句の連続――観念の連続――の四十頁を要求しようとも、それは問題とするに足りない。
 トルストイの「戦争と平和」に、構想の欠乏――「母線」を見る明の欠乏――を難じ、事実の堆積に過ぎないと論断することは、或は至当であろう。然し上述の諸作品に対して、文学的「母線」の欠如を難ずることは、的外れであろう。なぜなら、かかる作品は、在来の文学的観念から脱却しているものであって、文学の様式を破壊するか否かは、問う所でない。
 ただ問題は、かかる方法が果して可能なるや否やに在る。そして最大の危険は、意識的構成を避くることに於て、却って、新たな意識的構成――新たな文学の過剰――を招来することにある。プルーストやジョイスの模倣者は、殊に超現実主義の末派は、既にこの危険に陥りつつある。
      *
 新鮮な魅力は、多くは、「文学的ならざるもの」から来る。プロレタリア文学は、その勃興当時、この新鮮な魅力を多分に持っていた。
「社会のあらゆる現象を先ず経済的見地から見る。随って芸術についても、もろもろの生産力の状態を第一に考察し、それらの生産力の状態によって決定される社会的環境を第二に考察し、それから作者及び作品に及ぶ。」――「プロレタリアートの文学は、階級闘争の武器以外のなにものでもない。」――こういう二つの――芸術観と「指導精神」とを結び合せて考える時、プロレタリア文学は、文学から文学の衣を剥ぎ取ることが必然となる。
 文学から文学の衣を剥ぎ取ることは、文学を「文学以前」のものに引戻すことである。そして、「文学以前」に引戻された文学を、文学の過剰に食傷していた一般大衆は、喜んで迎えた。
 然しながら、これが度重って繰返され、公式的なものになる時、一般大衆のうちの文学的読者層は、再び文学を要望するようになり、作者の方でも、文学的労働としてのディレンマに陥る。
 初めから文学として発生しなかったものならば、問題はない。或は、在来の文学的概念とは異った概念を持ってくることも、可能であろう。然しながら、新らしい階級の新たな文学として――やはり文学として――生産される以上、そして同一種類の生産がくり返される場合、一方には、数量的に、需要に超過する供給を来し、他方には、品質的に、生産工程に於ける「文学の過剰」を来す。
 そのために「文学以前」の文学から文学への復帰が企図される。然しながらこの企図は、生産工程から見れば、かかるものを制作しようというその意図から来る品質的「文学の過剰」を、免れさせる結果になる。ブールジョア文学が、「文学以後」のものから文学へ復帰しようと企図する時、「文学の過剰」を振い落す結果になるのと、同様である。
 そこに、文学の本道が見られる。
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「天才は努力である。」――というこの言葉は、断じて、文学的生産技能に適用してはならない。主義主張が――創作態度が――現実に対する批判の規準となっている間は、生産技能のうちには、種々の文学以前のものが含まれている。然しながら、製造工場の中に於ける生産技能の修練は、決して「天才」に到達する途ではない。
 ポール・ヴァレリーやアンドレ・ジィドや、近くは寺田寅彦氏などを、誰か熟練工と云い得る者があろうか。彼等の深い直観力と鋭い智力との平衡調和は、決して生産技能修練の努力からは得らるるものでない。それは天稟に由るところもあるであろうが、「文学以前」に於ける精進に俟つところが多大であろう。
 更に進んで、「身を以て書き、血を以て書く、」ということは、文学に於ては、「文学ならざるもの」――或は「文学以前」のもの――へ直接関連する。そしてこの関連が弛むに随って――間接的になるに随って――作品は魂から手先へと、手先からペン先へと移ってゆく。
 余りに文学が多すぎる。文学の過剰から文学の貧困を来している。――こういうことを、現在の所謂芸
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