文学以前
豊島与志雄
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作品の活力は、中に盛られてる作者の生活的翹望から来る、ということが説かれる。また、「身を以て書く」、「血を以て書く」ということが、理想的に説かれる。そして、キリストに対して、羨望或は感嘆の意が述べられる。
これは、余りに文学的なる文学に対して、より少く文学的なる文学を要望することであり、更に云えば、文学を「文学以後」より、「文学以前」に引戻さんとする方向を指示するものである。
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「文学の貧困」ということは、文学の中に於ける「文学的なるもの」の貧困の謂ではない。否却って、「文学的ならざるもの」の貧困の謂であろう。
ジャーナリズムに於て、或は一般読書界に於いて、文学の気息が細ってきた原因は、「文学的なるもの」の欠乏にあるのではなくて、「文学的ならざるもの」の欠乏にある。
文学作品から、或は中間物へ、或は実話物へ、或は論説へ転向してゆくことによって、読者の求めようとするのは、一体何であるか。これを一言で云えば、情緒や感動や思想――而も直截簡明なそれらである。
文学の素材のなかに、或は作者のなかに、情緒や感動や思想が涸渇してきたとは、敢て断言出来ないだろう。然しそれらが文学として表現される時には、勿論、文学的扮装を以て表現される。そしてこの文学的扮装は、一歩誤れば、その主体を生かすどころか、却って窒息させる恐れがある。
文学的扮装は、「文学的ならざるもの」――或は「文学以前のもの」を、生きた事実として具体的に表現する手段に外ならない。然るに、この扮装の重みの下に、表現せんとする主体を窒息させる場合には、それ自身の自殺以外の何物をも意味しない。地肌をぬりつぶす厚化粧が、やがて、化粧法の自殺を意味するのと、同様である。
「作家たるものは、芸術のために凡てを捧ぐべきである。作家にとっては、生活でさえも一の手段に過ぎない。」――こういう悲壮な言葉は、文学が一の意欲を持ち、生活的現実に対して批判的関連を持つ限りに於いてのみ――全くその限りに於いてのみ、意義を有する。そして、文学が製造工場の中にとじこめられ、その生産方法にのみ適用される時、この言葉は、文学そのものを没落させる作用をしかなさない。
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貧困は、生産不足からばかりでなく、生産過剰からも来ることは、近代の常識である。
文学は一の加工品である。素材に、文学的加工を加えて、文学が出来上る。たとい文学が、生活の現われであり、生活情意の流露であり、或は生活から咲き出た花であろうとも、現わし流露させ花咲かせるところに、加工的な――生産的な――労力が存在する。
随って、文学を分析して、かりに、素材からくるものを「文学的ならざるもの」とし、生産的労力からくるものを「文学的なるもの」とすることが出来よう。そしてこの「文学的なるもの」の過剰は、即ち文学の過剰であって、文学の過剰は、やがて、文学の貧困を来すことがある。
問題は、量にあるのではなくて、質にある。作品の数にあるのではなくて、作品の中に含まってる「文学的ならざるもの」と「文学的なるもの」との割合にある。前者が余りに優位を保つ時には、文学の不足――生産不足――を来す。後者が余りに優位を保つ時には、文学の過剰――生産過剰――を来す。
こういう意味に於いて、文学の生産不足は、文学を「文学以前」に引戻すと共に、文学に対する需要を増加させ、文学の生産過剰は、文学を「文学以後」に押しやると共に、文学に対する需要を減少させる。
嘗て、音楽について、「余りに音楽が多すぎる。」と叫ばれたことがあった。文学についても、「余りに文学が多すぎる。」と叫ばれるかも知れない。否、それは既に叫ばれている。
文学の過剰に食傷した精神にとっては、「文学以前」のものが、新たな魅力を帯びてくる。
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太陽は落葉の床の中に金色のちかちか光る足で飛び込んで来て、落葉は羽蒲団よりもふかふかして暖になった。彼女はその中で、冬枯れの草の根の様にうっとりとして横になって居た。
陽がおちると森の中は扇をたたむ様にぱたぱたと暗くなった。そして彼女の心にも黒い羽根がとじられて夜の様な陰欝がたれさがった。
夜は蛭に似た口で落葉から昼の暖かさを吸い取ってしまった。彼女はがたがたふるえて、こわばりかけた体をむりに引き起すと枯枝に火をたきつけた。火は闇を引きさいて、彼女の苦しさを幾分軟げた。
暫くたつと夜は彼女にねむりをなげつけた。彼女はあらゆる悲しみと
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