る万引行為に、実際に己が船を焼くような愚者はあるまい。だからこれは比喩の話である。更に、海上で己が船を焼くような愚者はあるまいし、船を焼くのは上陸した時のことである。だからこれも比喩の話である。
フローベルは晩年、ブーヴァールとペキュシェという二人の低俗なる生活を描くことに、心身を労した。彼がその二人を愛していたのか憎んでいたのか、私は知らない。ただ私は、遠征のノルマン人を愛し、常習万引婦人を憎む。そしてこの場合、愛するが故に憎む、憎むが故に愛する、というような言葉は絶対に意味をなさないものとしたいのである。
三
「種々の事物や事件は、私の頭の中では整理されて、謂わばそれぞれの抽出の中に納めてある。一事から他事に移る時には、私は前者の抽出を閉め、後者の抽出を開ける。斯くして、如何なる事柄も互に混乱することなく、また私を邪魔し或は疲労させることがない。眠ろうとする時には、私は凡ての抽出を閉め、すぐに眠るのである。」――これはナポレオン自身の言葉。
そういう頭脳を想像してみよう。そこには無数の抽出があって、あらゆる事柄がそれぞれの抽出の中に整理されている。どの抽出かが任
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