は、社会的地位の高い、富有な、そして相当年配の所謂貴婦人に属する。眼差しに落着きがなく、化粧は入念であり、香水のかおりは程よく、毛皮の襟巻を少々汗ばむ頃まで用いる類の婦人である。彼女は店内をそぞろ歩き、あちこちの売場に立止り、鷹揚に物品を弄び、然し一品も購わずに、やがて出口へ向い、自動車を呼んで、すっと消えてゆく。もう既に、彼女の袖の下には、幾点かの品物が、多くは高価なものが、潜んでいるのである。――そうした彼女の後ろ姿を常に一人の男が静に見送っている。何処にも見かけるような平凡な様子の男で、目立たない物腰だが、眼付だけは鋭い。この男は既に、彼女の後を最初からつけていたのである。そして今彼女の後ろ姿を見送って、口辺で微笑しながら眉をひそめる。
その月末、デパートから、万引の品物の代価の書付が、彼女の家に郵送され、やがて集金人が来る。彼女は金を払う。――そしてまた彼女は、デパートに平然と現われて、万引を働く。デパートにとっては、彼女はよい御得意様であって、そこの私設刑事が鄭重に待遇するのである。
彼女は世の中に退屈してるのであろうか。退屈のあまり、一種のスリルを求めて、その身分と財産
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