大した印象は与えなかった。
終戦になってから、その死体貯蔵場には、外から覗けないように古板の囲いがされた。が逆に、附近の人々の頭には、その内部のことが蘇ってきた。もう覗き見も出来ないので、嘗ての噂が一層誇張して想像された。元来が人通りも少なかった猫捨坂は、夜分など、ますます通行人が少なくなった。
坂下の或る門灯の光りが、ぼんやり見えてるきりで、坂全体が薄暗い。洞窟内の異様な臭気が、ふっと洩れてくるらしいこともある。ばかりでなく、焼け爛れた死体の髑髏や肋骨や腕や脛が、ふらりとさ迷い出てくるのだ。
坂は急で、通路の御影石の敷石はすべすべである。或る晩、荒物屋のお上さんが、転んで、足首を挫いた。
噂によれば、お上さんが坂を下りていると、どこからともなく声がしたという。
「早く行け、早く行け。」
おや、と思うと、また声がした。
「早く行け、早く行け。」
ぞーっとして、足を早めた。とたんに、転んだのである。
また或る晩、坂上の近藤さんの女中が、転んで、肱と膝とをすりむいた。
風呂屋からの帰りに、坂を上りかけると、声がしたのである。
「早く行け、早く行け。」
はっと思って、坂を上
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