った。姉が万事みとってくれるので、俺はただ側についておればよい。
母は疼痛を訴えることが少なくなった。医者は逆に、危機が近づいたと言う。もう苦悩の力さえ失ったのであろうか。痛々しくて見ておられない気持ちだ。
見舞客もすべて、玄関の三畳での応対だけで帰って貰う。この三畳は、俺たち一家と二階の一家との共通のもので、いわば両家の応接室だ。友人が来ると俺はそこで対談する。
中学時代の旧友が、或る晩、一瓶をさげて訪れて来た。玄関の三畳で飲んだ。その酒が彼は自慢なのだ。屋台店などに氾濫しているアルコール焼酎よりも遙かに上等で、アルコール・ウイスキーだと自称する。ちょっと色をつけ、ちょっと味をつけてある。彼自身の考案なのだ。これを飲み屋に卸せば可なりの利益になる。大量に生産して、莫大に儲けるつもりでいる。原料はいくらでも手にはいる、一緒にやらないか、と彼は俺に勧めた。
「非合法な仕事でもなんでも、構うものか。うまい酒を同胞に供給してやるんだ。そして酔っ払わしてやるんだ。」
彼は戦時中に召集されて、関東平野をあちこち歩かせられ、終戦後の復員で戻って来たのである。
彼の話によれば、兵隊として
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