るめた。と一方では車台の柱につかまった手が強く彼を引いた。「危い!」と車掌は叫んだ。彼は横倒しに線路の上に引きずられ加減に転げ込んだ。
私達は息をつめた。電車はすぐに止った。大勢の乗客が出て来た。車掌は線路に飛び下りて行って彼を扶け起した。彼は立ち上ったが、またひょいとよろめて其処に坐ってしまった。黙って顔を伏せていた。異常な感動が皆に伝った。駅夫共が線路の向うの小屋から出て来た。
駅夫共から歩廊の上にかつぎ上げられた彼は、一人の駅夫の肩につかまって立ち上った。そして車掌に何やら云った。車掌が言葉を返すと、彼は手を振ってまた何やら云ってから、崖の上の駅の方を指した。そしてまた何か云って頭を振った。
私達はその間車掌台の所に立っていた。何かが私達を其処に釘付にしてしまったのだ。そして私達と彼との距離は僅か五六間だったが、不思議なことには、彼と車掌とが交わした言葉は少しも私達の耳にはいらなかった。ただ彼の身振りだけがはっきり私達の眼の底に残った。俯向けた彼の顔は暗い影に包まれて見えなかった。
やがて電車は彼を残したまま進行し出した。
「怪我をしたのですか。」と乗客の一人が車掌に尋ね
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