た。
「怪我は別にないと自分で云ってるから大丈夫でしょう。向うが悪いのです。」と車掌は答えた。
私達は妙に黙り込んでしまって、腰掛の上に首を垂れていた。
「私ほんとに喫驚したわ。あの人でしょう、例の男というのは。」と女は村瀬に囁いた。
「君達が余りうますぎたんだ。」と村瀬は云った。
「でも約束じゃないの。」
それには誰も答えなかった。そして私達は、それきり上野まで黙っていた。
「兎に角余り結果がよすぎたんだ。」と村瀬は公園下を歩きながら結論を下した。
女が何処かへ寄ろうと云うのを、またこの次にと云って私達は別れた。それにもうよほど遅くなっていた。私は一人で山下を池に沿って帰っていった。その時私は、腹立たしいのか、情けないのか嬉しいのか、訳の分らぬ心地になっていた。腹の底に云い知れぬ感情の黒いかたまりが転っているような気がした。
翌日の淋しい夕方、妙に前夜のことが気にかかってぼんやりしていると、思いがけなく村瀬が尋ねて来た。
「花園町とばかりきいていて番地が分らないので随分探したですよ。」と彼は云った。
「そして何か起ったんですか。」
彼は黙って懐からその晩の「毎夕」を一枚取り
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