束髪の女が立っていた。私達が話してるのを見ると、一寸頭を下げて微笑みかけた。村瀬は手を上げて相図をしながら頭を振った。私の眼の中には、女の眼と口とが馬鹿に大きく残った。
 例の男は来ていなかった。私達は失望した。それでも電車を一つやり過して待ってみた。まだ来なかった。「今日は雪だから来ないのかな。」とも思った。それでも一台電車をやり過した。足の先が凍るように冷たくなって来た。時々待合所の中へはいって足先を温めた。火鉢の火はいつもより多かった。女は時々私達の方を顧みた。
 やがて階段の所に足音がした。私ははっと思った。それは殆んど直覚だった。あの男がやって来たのだ。ラクダの襟巻をして、手に洋傘を携え、足駄をはいていた。雪の夜には別に不思議でもないが、その洋傘と足駄とが私には異様に感じられた。
 彼は私達の方へは眼もくれず、真直に待合所の中へはいって行って、火鉢の上に足をかざした。それから煙草を一本取出して火をつけながら、何やらじっと考え込んでいるらしかった。私達の方をちらと顧みたが、またそのまま眼を伏せてしまった。然し私は彼の後姿で、彼の心は絶えず私達の方へ向けられてることを感じた。
 
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