る人間の顔は変なものだった。私達が話しかけるのに気味悪がって遠くに立ち去って、またじろじろとこちらを顧みる者の顔の中は、ただ眼と口とばかりだった。眼は冷たく鋭く輝いていた。口は妙にだらりとしていた。眼には敵意があり、口には可笑しな愛嬌さえあった。美しかるべき眼と貪慾なるべき口とのその表情の矛盾は、やがて社会生活の矛盾を示すものではなかったろうか。眼が陰険で口が可愛いいものは、動物のうちに人間ばかりのような気もした。ただその時、鼻が少しも私の注意を惹かなかったのは変だった。
十二月の末になって、いつとはなしに私達の注意をひく男が一人現われて来た。マントを着て草履をはいていたが、或は鳥打帽を被ったり、或は中折を被ったりした。殆んど一度置き位に私達はその男をS――駅の歩廊の上で見出した。私達が寄ってゆくと彼は遠くに歩いていった。多くは待合所の中に立っていた。それで一度も言葉をかける機会が無かった。
不思議な男だぐらいに思って気にかけずにいるうちに、いつしか正月になった。で十日ばかり私達は「休んだ。」然し正月といっても別に用のある身でもなかったので、またすぐに初めることにした。特に正月にな
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