私は、一人の若い女に話しかけた。すると彼女はちらと私の顔を見たが、そのまま黙って向うへ行った。其処には五十位の老人が立っていた。女は彼に何か囁いた。と老人は一度頭を強く横に振って私の方をじっと見つめた。太いステッキを持った老紳士だった。眉根を寄せた鋭い眼の光りを私は見た。「しまった」と私は思った。何か罪を犯したような気が一寸した。
けれども私達の心はもう非常に落付いていた。そして愉快になっていた。強い好奇心も働いていた。ただそのために以後二人連れの者には決して話しかけぬことにした。
「人間の心が一番よくうち開くのは、ただ一人で居る時に限る」と私は村瀬にいった。
斯くしてS――駅で十二時すぎに落合った者には、種々な人が居た。重に中流以下の階級の者が多かったが、私達はなるべく自分と交渉がありそうな者を択んだ。私達の言葉をよく受け容れてくれる者は却って見すぼらしい服装をした者に多かったが、社会の階級というものが如何に親しみや距離やを人間の間に置いてるかを、私は感じた。その上、労働者などに話しかけることに、私は一種の自責の念を感じたのである。これは自分でも何故だかよく分らなかったが、然し実
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