ん。」
それでも私達は愉快になってきた。そして電車が来たのでそれに乗った。赫ら顔の男は、私達が乗るのを見届けて、別の車室に乗ったらしかった。
然し私が恐れたように、二度目に其処で逢ったという覚えの顔に出逢うことはそれきり殆んど無かった。私達は失望してきた。
或る時、しるし半纒を着た二人の職人が私達と一緒に落ち合った。一人は酔っ払っていた。腕を打ち振りながらしきりに何やら怒鳴り立てていた。私達が立っていると、彼はぴょこりと頭を下げた。
「旦那、酒というものはいいものですぜ。酔わなきゃ酒の味が分らねえって。ははは。酔うたその夜は、うかうかと、寝なんすきみが可愛うて……。」と彼はいつか端唄を歌い出した。
「いい景気ですね。」と私は言葉をかけた。
彼は唄を止めて私の方を見た。
「驚いたね、旦那、わっちの懐が見えますか。これこの通りだ!」そういって彼は懐を叩いてみせた。小金の音がじゃらりとした。「懐が温かけりゃあ腹の底まで温くなるもんだ。旦那、出かけやしょうかね。」そして彼は手を上げて向うを差し示すような様子をした。
「止せよ。」そう云って連れの男が彼の手を引止めた。
「何だと、何がよせ
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