。私は息をこらした。然し村瀬はいつまでも何とも云わなかった。「臆病なんだな」と私は思った。けれどもやがて、彼は顔を上げて私の方をちらと見たが、傍の男にこんなことを云った。
「馬鹿に寒いですね。」
 男は変な顔をして村瀬を顧みたが、それでも答えた。
「そうですね。」その声は嗄れていた。
「度々こちらへお出でですか。」
「え?」
「いつか此処でお目にかかったように思いますが。」
「そうですか。」と答えて彼は村瀬の顔を窺った。
「どちらへお帰りです。」
「家へ帰るんです。」
 そう云いすてて男はふいと向うへ歩き出してしまった。
 私は可笑《おか》しくなった。そしてくすりと笑うと、村瀬は帽子を取って顔の汗を拭った。
「いや駄目だ!」と彼は低い声で云った。「君が応援しないものだからひどい目に逢った。」
 向うに立ってた二人連れの男が私達を不思議そうに眺めた。幸に其処は柱の影で暗かったけれど、私は罪でも犯した者のように、帽子を深く引き下げた。
「君こういう調子じゃ駄目ですね。」
「なに今に面白い男にぶつかるですよ。そう失望したものじゃない。夫に君のやり方は上出来でしたよ。」
「ひやかしちゃいけませ
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