出した。そして私はふと立ち止って、顧みた彼の顔をじっと眺めた。
「随分度々君には此処で逢いましたね。」と私は云った。
「そうでしたね。」と彼は答えたが何か他のことを考えているらしかった。
「なぜ君はもっと早く僕に言葉をかけなかったのです。」
「え!」と云って彼は眼を輝かした。「僕も君にそう云おうと思ってた所です。それではお互いっこだ。」
「そうですか。然し随分長い間互に話しかけたく思いながら妙な遠慮をして、擽ったいような思いをしたものですね。」
「擽ったい……なるほど君はいい言葉を使いますね。文学でもやるんですか。」
「いや文学の方は生噛りです。」
それから暫く黙っていたが、彼は声を低くして憚るように云った。
「ねえ君、これから此処に待ち合してる者で、一度顔を見たことがある者には、誰にでも話しかけてみようじゃありませんか。」
私は眼を輝かした。
「然し二度此処で逢うような人があるでしょうか。」
「あるですよ屹度。現にあの鳥打帽に洋服の人ですね。」と彼は向うに立ってる男を指さした。「あの人にも僕は一度此処で出逢ったことがあるんです。」
「それは面白い。やりましょう。」
「然し僕はどう
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