ましたから。」
「へえ、君もよくあの辺に行くんですか。」
「いやこの頃は面白くないからさっぱり行きません。体よく振られたような形になって無情を感じたわけですよ。」
「そして私のように、S――まで都落ちですか。」
「ははは、都落ちとはうまく云ったものですね。」
 そして私達はまた麦酒のコップを挙げた。
 そのカフェーを出たのは一時すぎだった。私は彼に別れて、淋しい池のふちを通って自分の家に帰った。
 私はその晩の出来事が妙に嬉しくなった。ふいに一人の知己を得たような気がした。「なぜもっと早くあの男に話しかけなかったろう。」そう思うとまた急に彼に逢いたくなった。そして、少し危ぶみながらも彼に逢えるかと思って、その翌晩また坂口を訪れ、十二時が打つといい加減に碁の勝負をきり上げて停車場へ帰ってきた。
 私が階段を下りてゆくと、「やあ!」と云って声をかける者があった。村瀬だった。
「僕は君が屹度今晩も来ると思って待っていたんです。」と彼は云った。「お蔭で電車を一つやり過してしまった。」
「そうですか。僕も君が来るような気がしたので、わざわざ出かけて来たんです。」
 私達はまた歩廊の上を並んで歩き
前へ 次へ
全44ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング