相当に客があるので、それを避けてか、或は他にわけがあってか、秦や波多野は、多くはまだ日差しの明るいうちにやって来て、楽しげに川蟹をつついた。互いに電話で呼びだすこともあった。「今日は蟹があるよ。」というだけですべてが通じた。
酔ってくると、秦は上衣のポケットから一掴みの銀杏の葉を取り出すことがあった。銀杏の葉はもう黄色くなって、風に吹き散るには早いが、ちらほらと落ち初めてる頃だった。その落葉の中から、形の完全な美しいのを選り拾って、ポケットにつめこんできたのである。それを彼は一枚ずつ、食卓の上に並べて、楽しんだ。卓上がまっ黄色になることもあった。――街路でか、またはどこかの広場でか、それだけの銀杏の葉を拾い集めてる彼の姿を想像すると、波多野は心からおかしがって笑った。だがそのおかしさは、秦には全く通じなかった。彼は腑に落ちない顔つきで、黄色い葉を一枚ずつ取り出して卓上に並べた。
銀杏はまた鴨脚樹とも書く。或る地方では、子供たちが、銀杏の葉を鴨に見立てて、それを川に泳がして遊ぶ。それは流れる水の上では長くは浮かない。各自は自分の鴨を川に放って、長く泳いだのが勝ちとなる。――そのようなことを、秦は楽しそうに、思い出のように語って、酒を飲んだ。
「その銀杏について、僕は面白いことを発見した。」
それがまるで他国のことででもあるような調子で、波多野は話した。
「僕の家の近くに神社があり、その境内に大きな銀杏の木が聳えている。この木のそばに稲荷様がある。稲荷様には、君も知ってる通り、本堂があって、それから少し離れたところに、お蝋所と称する場所、蝋燭や種油などの灯明をつけて祈念する場所が、たいていあるものだ。そして普通は、このお蝋所の方に、赤い鳥居などが立ち並んでいる。僕の近くの稲荷様も、そうだった。そして秋になると、隙間もないほど立ち並んでる赤塗りの鳥居に、黄色い銀杏の葉が降りかかる。その黄色い花吹雪の下の赤いトンネルをくぐって、お蝋所にお詣りをする女の姿など、一種の風情があった。
「ところで、こんど僕が中国から帰ってみると、空襲のために、神社は焼けていた。稲荷様の本堂は残っていたが、お蝋所の前の幾十本とも知れない鳥居は、すっかり無くなっていた。焼けたのではなく、多分、燃料にでも使われたのだろう。近所の人々が相談の上で取り払ったのか、或は盗まれてしまったのか、それはどう
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