。
机の上には小形の原稿用紙を綴《と》じたのがのっていた。周平は眼を見張った。
「奥さんは小説を書くんですか。」
「まさか。」と云って保子は笑った。「これ私の日記帳よ。」
「日記をつけるんですか。」
「ええ。」そして保子は急に真面目になった。「日記をつけるのは、殊に女にはためになると横田が云うものだから、ためしにつけてるのよ。でも、人に見られると、思ったことが書けないから、ある時期までは横田にも見せないことにしてるわ。……随分面白いことがあってよ。内密《ないしょ》で一寸読んでみましょうか。」
「内密で読むったって、奥さんが御自分で書いたんでしょう。」
「ええ。だけど人に洩してはいけないわよ。」
「大丈夫ですよ。」
保子はいい加減の所を披いて読み始めた。
水島さんがいらっしゃる――(あなた水島さんを御存じね……ええ、画家よ)――水島さんがいらっしゃる。夕御飯を出す。お酒も出す。いろいろ面白い話をなさる。そのうちに、女がコケットリーを失うのは何時だと思う、と仰しゃる。さあ……と横田が考えてると、それは母親になって母親としての自覚を得る時からだ、とのお説。然し人妻になってからもだいぶ
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