ある。兎に角ああいう話を僕や君が詳しく知ってるということは、横田さん達にとって快《こころよ》いことではあるまいと思うんだ。」
電車通りに沿って暫く進んだ後、周平の下宿の方へ行く曲り角で、二人に立ち止った。
「君はこれから下宿へ帰るのか。」と村田は尋ねた。
「ああ。」と周平は答えた。
村田はその顔をじっと眺めていたが、ふいに、「じゃあこれで失敬しよう、」と云い捨てて立去っていった。
周平は一人薄暗い街路に残された。
七
一人になって初めて周平は、先刻の村田の話からひどく心を動かされてることに、自ら気づいた。酒の酔から来る興奮も手伝っていた。感傷的な悲壮な気分のうちに浸っていた。
彼は下宿の方へ帰って行かずに、ただぼんやり歩き出した。雨は全く霽れていた。冷かな風が月の光を運んできた。彼は月を仰ぎ仰ぎ歩いていたが、やがて静かな横町へ曲り込むと、いつしか首垂れて考え込んだ。
彼は、横田夫婦と隆吉とのことを考えていた。彼等の運命にまつわってる陰影のことを考えていた。話は数年前のことであったが、未来長く尾を引くもののように感じられた。その上、村田の話に洩れた何かが、より重
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