主張した。
周平は口を噤んだ。彼は議論をしたくはなかった。ただ事実をじっと考えたかった。村田が先刻の話からけろりとして、盛にいろんなことを論じかけるのを、彼は簡単に受け答えして、しきりに杯の数を重ねた。頭がくらくらしてきた。
いつのまにか雨は止んだらしかった。あたりはしんとしていた。向うの室の客の話声も途絶えていた。
「もう帰ろうか。」と周平は云い出した。
「ああ」と村田は答えて、俄に思い出したように、銚子の底に残っている冷たい酒を貪り飲んだ。
外に出ると、綺麗に晴れた空をごく低く、薄白い雲が千切れ飛んでいた。雲の間から冴えた月が覗いていた。月の面を仰ぐと、湿っぽい冷かな風がさっと頬を撫でて、ぽつり……ぽつり……と、名残りの雨が落ちかかった。
村田はふーっと酒臭い息を吐いて云った。
「いい晩だね。」
それから二三十歩した後、彼は突然周平の方を振り向いた。
「君、吉川さんの話を余り気にかけちゃいけないぜ。」
「なぜ?」
「なぜってもう過ぎ去ったことじゃないか。それに、君は余りつまらないことにこだわり過ぎる傾きがあっていけない。こだわった揚句には、とんだ尻尾《しっぽ》を出す危険が
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