女が小指だけ差出したのを、彼も小指を差出して、強く握り合せながら打振った。それから、何かを踏みにじるような気持で、わざと大きな足音を立てて階段を下りていった。足下《あしもと》がふらふらしていた。

     三十五

 霧深い夜だった。周平は約束の八時に五分前頃、お茶ノ水橋に行ってみた。変な意地からふと為した約束ではあったが、彼はもうそれを悔いてはいなかった。求めても得られないいい機会だった。此度こそ彼女に直接ぶつかってみよう、というのが彼の考えの全部だった。
 然しお清《きよ》はなかなかやって来なかった。周平は苛ら苛らしてきた。約束をした時の調子が調子だったので、或は来ないのかとも考えられた。彼は橋の西側を三四度往き来した。深い谷間に霧が濛々と渦巻いていて、両岸から差出た木立が梢の方だけ浮出して見え、その間から遠くに街路の灯が点々としてるのが、山の湯という感じを持っていた。彼はいつしかその景色に見とれて、橋の欄干にもたれて佇んだ。ともすると決心が鈍って、一種の甘い感傷に陥りかける心を、自ら気づいては抑え抑えした。
 彼はお清の家がどの方面にあるかを知らなかった。然し大抵は院線電車で来
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