殆んどなおったようですから、下宿に帰ろうかと思っています。」
 保子は眼を見張った。
「どうして急にそんなことを云い出すの。横田が帰ってくる迄居るつもりじゃなかったんですか。」
 それは保子一人できめてることだった。周平は曾てそんな約束をした覚えはなかった。然し彼は云い逆《さから》わなかった。また本当に下宿へ帰るつもりでもなかった。
「居てもいいんですけれど……。」と彼は口籠った。
「よければ居たらいいじゃないの。それに、あなたが帰ったら隆吉が淋しがるわよ。」そして彼女は言葉の調子をゆるめた。「不思議ねえ、あなたは別に愛想もないくせに妙に子供から好かれる所があるのね。こないだ隆吉がふいに、井上さんがいつまでも家にいてくれるといいなあ、と云い出したのよ。井上さんにじかに頼んでごらんなさい、と云っといたんですが、何かあなたに云いはしなくって?」
「本当ですか。」
 保子は微笑んだ。
「おかしな人ね。誰がそんなつまらない嘘を云うものですか。」
 周平は眼を見据えた。あの時のことを思い出した。隆吉に対して変に気を廻したのが、今になってみると、馬鹿げてるようなまた恥しいような気がした。その気持が
前へ 次へ
全293ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング