」と周平は尋ねた。
隆吉は黙っていた。周平は幾度も尋ねたが、一言の返辞も得られなかった。しまいにはもてあぐんだ。肩ですすりあげながら、身動きもせず、涙もこぼさないで、嗚咽のうちに石のように固くなってる隆吉の姿を、彼はじっと眺めやった。その執拗な気持が、彼のうちにも伝わってきた。彼は口を噤んだ。いつまでも黙っていた。長い時間がたったようだった。
「……だって、お祖母さんは何とも云わなかったんだもの。」
そういう低い声がした。周平はふと顔を挙げた。見ると、隆吉はもう泣き止んで、彼の方を上目がちに窺っていた。
「僕は嘘をつきはしないよ。」
周平はなお黙っていた。不快な気分が濃く澱んできた。眉根をしかめて、其処に寝そべってしまった。
暫くすると、隆吉はまた云い出した。
「本当にお祖母さんは何とも云わなかったんだもの。僕がいくら頼んでも、見つからないといったきり、持って来てはくれなかったんだよ。……でも、も一度頼んでみよう。こんど来たらそう云ってみるから……。」
「もういい。」と周平は云った。
「だって……。」そう云いかけて隆吉は中途で口籠った。そして周平の方へ寄ってきた。「僕もお父さんの写真を見せたいんだもの。たしかお祖母さんが持ってる筈だから……。」
「もう見たくないからいいよ。」と周平は声を荒らげた。
二人は黙り込んでしまった。周平はそれが苦しくなってきた。ぷいと立ち上って室を出た。保子へ碌々挨拶もしないで、下宿へ帰っていった。
陰鬱に雲った空の下を歩いていると、自分の姿が如何にも惨めに思えた。しきりに路上の小石を下駄の先で蹴飛ばした。それに自ら気づいては、また厭な気持になった。
何を自棄《やけ》くそになってるんだ! と彼は自ら自分に浴せかけた。少しく冷静になって反省してみると、恐ろしい気がした。自分の感情がどういう所まで転り出していくか、更に見当がつかなかった。僅かに一枚の写真のことではないか。あれほどこだわる必要は少しもなかったのだ。その上、隆吉に対するあのふてくされた態度は……。彼はひとりでに顔が赤くなるのを覚えた。隆吉に対して済まないというよりも、更に多く恥しかった。
然し、祖母はなぜ吉川の写真を持って来なかったのか? それがどうしても腑に落ちなかった。隆吉の言葉に嘘はなさそうだった。それならば、隆吉にも云えない――もしくは、云っても分らない――理由が、何かあるに違いなかった。恐らくそれは保子に関係したことだったろう。祖母は保子に遠慮して写真を持ってこなかったのだろう。
周平は益々深い疑問に陥ってゆく自分を見出した。想像に倦み疲れると、凡てを頭の外へ抛り出そうとした。数年前に亡くなった吉川のことなんか、どうでもいいのだと考えたりした。
それを、保子の方から変な風に問題に触れてきた。
十
「井上さん、あなたに話があって待ってた所よ。」と保子は云った。
周平はぎくりとした。頭の底にこびりついていた写真のことがはっきり浮んできた。けれども保子はいつになくすぐには云い出さなかった。いやに落着き払って彼の顔色を窺っていた。周平の方でじりじりしてきた。
「何ですか、話というのは。」と彼は促した。「云って下さい。また叱られるんですか。」
「場合によっては叱ってあげてもいいわ。」と保子は答えながら軽く微笑んだ。
いつもとは何だか勝手が違っていた。周平はうっかり口が利けないような気がして黙っていた。そして実際保子は、彼が思いもかけないことを云い出した。
「あなたが一番親しい……というよりも、一番よく何でもうち明けてる人は誰なの?」
周平はぼんやり彼女の顔を眺めた。
「え、誰なの? それとも、そんな人はないんですか。」
「一人あります。」と周平はやがて卒直に答えた。「奥さんは御存じないけれど、野村という同郷の先輩です。法学士になったばかりで、まだ下宿住居をして銀行に勤めています。私は一身上のことは何でもその人に相談しています。昨年学費が杜絶しかかって、もう学校を止そうかと思った時にも、その人が大変力になってくれました。……然し精神上では、それ程親しいという訳ではありません。」
「野村さんのことなら、私もあなたから聞いて知ってるわ。その外には?」
「さあ……何でもうち明けるというような友人は別に有りません。」
「では村田さんは?」
「村田とは随分親しくしていますが、普通の友人というきりです。」
「でも、いろんなことをうち明けるんでしょう。」
周平は初めて気づいた。村田が何か云ったに違いなかった。あの日のことを考えると不安になってきた。
「私は何も重大な事を村田に相談した覚えはありませんが……。」そう云いながら彼は保子の顔を見戍った[#「見戍った」は底本では「見戌った」]。
「重大なことでなくてつまらない
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