る四角な卓子をとり囲んでいた。
 村田と周平とは洋室の方にはいって、長椅子の上に身を投出した。そしてただ訳もなく眼を見合せた。
 がーんと耳鳴りがした後にひっそりとなった時のような気持だった。村田は煙草に火をつけながら云った。
「どうだい、思ったより汚い狭苦しい室だろう。」
「いや、素朴でいいじゃないか。」
 背の低い肥《ふと》った女中が、酒や料理を運んできた。
「今晩井上君と二人でゆっくり話すんだから、あちらへ行ってていいよ」と村田は云った。
 周平は、余計なことを云うと思ったが、さしとめるわけにもゆかなかった。自分の方から二人きりでゆっくりしようと云い出したことだった。然し、村田と二人でさし向っていた所で、別に面白いこともなかった。お清に逢うのが目的だったのだ。そして、そのお清はいつまでも出て来なかった。居ないのかなと考えて見ると、先刻階下にも二階にも姿の見えなかったことが、俄にはっきり思い出せた。
 その間に村田は、こんなことをしみじみと云い出していた。
「人は僕を呑気者《のんきもの》と云ってるけれど、それは皮相の観察で、実は僕は無抵抗者なんだ。然し、無抵抗者と無抵抗主義者とは違う。主義となると、其処に一種の排他的抵抗が出て来るものだ。だが僕のは真の無抵抗なんだ。そして僕は面白いことを考えついた。無抵抗な自分の頭をじっと見戍ってると[#「見戍ってると」は底本では「見戌ってると」]、丁度天気と同じような変化をしてることが分る。がらりと晴れてる時もあれば、じめじめ雨が降ってる時もある。また、晴れてるのに雲がむくむく出て来たり、曇ってるのがいつのまにかすーっと晴れたりする。それでね、僕はこれから、自分の頭の天気模様を表に取ってみようと思いついたのさ。屹度何か面白い結果が現われるに違いない。或は意外な発見があるかも知れない。そして、それには僕のような無抵抗者でなくちゃ駄目なんだ」
「じゃあ今はどうなんだい。」と周平は尋ねた。
「そうだね……夜、晴朗、とでも云うのかな。」
「それでは実際の天気と同じじゃないか。」
「いや違う。空は晴れてやしないんだろう。」
「晴れてるさ。」
 然し窓を開いて覗いてみると、外はただ真暗で、晴曇のほども分りかねた。冷やかな風が何処からともなく流れ寄ってきて、急に身体が寒くなった。
「おう寒いや。」
「だから熱いのを持って来たわ、気が利いてるでしょう。」
 引き取って云った声の方を顧みると、お清の真白い顔が入口から覗いていた。
「なあんだ君か。」と村田が云った。「喫驚しちゃったよ。持って来たら早く出せよ。」
「取りにいらっしゃい。秘密のお話だから中にはいってはいけないんでしょう。」
「そうだそうだ。葷酒《くんしゅ》以外の者は何人もこの山門《さんもん》に入る可らず。取りに行ってやる。」
 村田が立って行くと、お清は四、五歩|退《しざ》って、戸の外に出て来た村田の横をつとすりぬけ、室の中にはいり込んで、がたりと扉を閉めた。
「おい、冗談じゃない。開けろよ、早く。」
「開けないわよ。私井上さんと秘密の話があるんだから、誰もはいってはいけない。……ねえ、井上さん!」
 酒を飲んだらしい赤味のさしてる真白い顔の中から、白目がちの澄んだ眼が、周平の方をじろりと見て笑っていた。周平は口が利《き》けなかった。
 やがて村田がはいってきて、長椅子の上の周平の側に身を落すと、お清はいきなり二人の間にはいり込んで、二人の手をしかと左右の手で握った。その手が妙にばさばさ乾ききってるように、周平は感じた。
「秘密の相談て、何なの?」
 瞬きと一緒にくるりと動く眼が、周平の顔を眺め、次に村田の顔を眺めた。
「云えないから秘密なのさ。」と村田は云った。
「じゃあ私、いつまでも此処から出て行かない。」
「そいつは有難い。君に一晩中取持って貰えば本望だね。此処から出ようたってもう出さないぜ。」
「私もあなた方二人に介抱して貰えば本望だわ。出そうたって出るものですか。」
「そうくるだろうと思っていたよ。」
 長椅子の背に身をもたして、がっくり後に反らしていた頭を、彼女は俄にもたげて、村田の方をじっと見た。
「何が?」
「いやこっちのことだよ。……秘密の相談という餌でお清ちゃんを釣ったわけさ。」
「そう。私も一寸釣られてみたかったのさ。」
 語尾を村田のに真似て一寸気張ってみせたが、それからほーっと息をした。
「ああ酔った。」
「誰にそんなに酔わされたんだい。」
 彼女は何とも答えないで、くすりと笑った。そしてじっと電燈の光りを仰いだ。
「この電気は妙に薄暗いわね。」
「今にはじまったことじゃないよ。」
「そうかしら。」
 おとなしく受けておいて、彼女はまた椅子の背に頭を反らした。
 その横顔を、周平はじっと眺めた。眉根まで通ってる鼻つきが
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