いてると、お清は時々側にやって来て、一座の女王らしく取澄したり、または一人で話を奪っていったりした。話の調子が少し受太刀になってくる時には、簡単な京大阪の弁を真似てごまかした。「さかい……おます……だっせ……えろう……ほんまに……そない……やろ……」などの語を連発した。
「あんたそないなこといやはっても、ほんまのことではないさかい、駄目だっせ。」
それで皆はどっと笑った。彼女は一寸首を引込めたが、彼女の顔をじっと見ている周平の方へ向いた。
「こちらはえろう人の顔を見てなさるが、顔に何かついておますか。」
周平はただ苦笑した。然し、彼女の姓が高井だと聞いた時、彼はぎくりとせざるを得なかった。
彼等のうちに、種々なつまらないことばかりを知ってる深谷《ふかや》という男がいて、姓名判断をしてやるというので、皆の姓名を順々に聴きただしていって、しまいにお清へまで及んでいった。その時彼女は、「高井清子《たかいきよこ》っていうのよ、いい名前でしょう、」と即座に答えた。
「高井清子、それは拵えた名前なんだろう。本当の名前でなくちゃ駄目だ。」と深谷は云った。
「いいえ、本当の名前よ。」と彼女は澄していた。
周平はそれを耳にした瞬間から、何だか聞いたような名前だと感じた。そしてすぐに、隆吉の母は高井英子とかいう女だと村田の話に聞いたことを、はっきり思い出した。
隆吉の母が英子という名であることは、吉川の日記にあったE子というのに照し合しても、本当らしかった。然しその姓の方は、村田の話に聞いただけで、誰に確かめたわけでもなかった。としても、名が間違っていなければ、姓はなお更間違っていないとするのが至当だった。
偶然の符合であるかも知れないが、然し……と周平は考えた。そして考えれば考えるほど、怪しい疑問のうちに陥っていった。高井という姓はそう沢山はないこと、英子の身の上について村田から聞いたこと、お清が時々京阪の弁を使うこと、それから、お清が保子そっくりの眼付をすること――それは何も英子とお清とを近づける理由にはならなかったが、然し、それが周平の心には最も強く響いた。彼は当時の吉川の心持に思いを馳せてみた。すると、その眼付が非常に重大な意味を持ってきた。
それにしても、お清が果して英子の後身だとするならば、英子に逢ったことがあると自ら云ってる村田が、ああ平然たる態度でいるわけはなかった。
周平は種々考え惑った末、村田に出逢った時、思い切って尋ねてみた。
「君は高井英子さんを本当に知ってたのか。」
「高井英子、何だいその女は?」
村田はけろりとした顔付をして周平の方を見返した。
「そら、君がいつか話したろう、吉川さんと一緒になっていて、隆ちゃんを生み落すと吉川さんを捨てて、大阪の方に……。」
「ああ、あの女か。」と村田は周平の言葉を中途で遮った。「それがどうかしたのか。」
「いやどうもしないけれど……。」
「じゃあ何だい? 噂でも聞いたのか。それらしい女にでも逢ったのか。」
疊み掛けて尋ねられると、周平はどう答えていいか分らなかった。暫く黙ってた後、苦しまぎれに突込んでいった。
「いやそれよりも、君は英子さんに逢ったことがあるのかないのか、それが先決問題だ。」
「いやに面倒くさいんだね。……僕は一度も逢ったことはない。名前だけは聞いて、大抵どんな女だか想像はついてるが、まだ顔を見たことはないんだ。」
「だが君は先達っての話に、こうこういう顔の女だということまで云ったじゃないか。」
「それは僕の想像さ。性格を聞いてその顔立が分らないようじゃ、小説は書けやしないよ。今に僕は、皆をあっと云わせるほど素晴らしいものを書いてみせるつもりだ。」
周平は唖然とした。
「その女に逢ったというのだけは嘘だが、」と村田はやがて思い出したように云った、「吉川さんの話は本当だぜ。嘘だと思うなら横田さんにでも聞いてみ給え。」
「いや、そんなことはどうでもいいんだ。」
そして周平はすたすた歩き出した。
「おいおい、そう急ぐなよ。」と村田は後から呼びかけた。「僕の方ばかり尋ねておいて、御自分の方はどうしたんだい。その……英子という女が何とかしたのか。」
「何でもないがね……。」
周平はお清のことをうっかり打明けようとした。がその時、向うから貨物自動車がやってきて、側を走り過ぐる騒然たる響きのため、一寸口を噤んだ間に、彼はふと思い直した。
「実は、隆《りゅう》ちゃんはお父さん似かお母さん似か、どちらだろうと思って、君に尋ねてみたのさ。」
「なあんだつまらない。いやに匂わせるものだから、何か面白いことかと思ったら……。そりゃあ君、二人の間に出来た子だから、両方に似てるにきまってるさ」
空気が澄みきってるわりに、妙に真黒い感じのする寒い夜だった。暫く黙って歩い
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