ってるが、年齢《とし》の功で威張るのは、余り威張り栄がするもんでもないからな」
「だって、なしのつぶてよりはまだいいや。」と誰かがまぜっ返した。
「なあに、此奴は石のつぶての方さ。」
 周平にはその意味が分らなかった。然しそうなると、何となく気がさして尋ねにくくなった。知ってるふりをして、声高く笑ってやった。
 とはいえ、そのために却って、変に気持の上のこだわりが残された。
 彼は後でそのことを、その晩居合せなかった村田に尋ねてみた。
「君はまだ知らないのか、あの有名な話を。」と村田は云って、周平の顔を見返した。
「知らないから聞くんだよ。」
「いやに気にしてるな。だが実際、ただで聞かせるのは惜しいほど面白い話だぜ。実はね、竹内があのお清に一寸参ったって訳さ。それから度々あの家へ行って、それとなく当ってみたんだ。所がさっぱり手答えがないんだろう。先生じれだしたもんだ。そして、止せばいいのに、酒に酔ったふりをしては、怪しげな詩だの歌だのを書いてよこしたのだ。全く気障《きざ》な奴さ。その上に常識を逸してるね。だが、それだけ先生の方じゃ大真面目だったんだろう。それでも向うは平気で、知らん顔をしていたんだ。そして愈々最後のカタストロフって幕さ……と云っても、それは勿論喜劇だがね。」
 周平は黙って聞いていた。
「或る晩、竹内はさんざん酔っ払って、或は酔ったふりをしてたのかも知れないが、あの女を捉えて、手帳と万年筆とを――そんなものをいつも持って歩いてる奴なんだ――それをつきつけて、これに何か書けと膝詰談判を始めたものだ。無理に返事を引ったくろうって寸法さ。すると、お清の奴、さんざん焦《じ》らした揚句に、一時間も奥に引込んで、自分一人でかそれとも誰かの智恵をかりてか、そこの所は分らないがね、一世一代の名句をひねり出したのさ。句に曰く、
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君ゆえに石のつぶてを心して、なしのつぶてとまいらせ候
[#ここで字下げ終わり]
そして署名を、賽《さい》の河原《かわら》より、とね。」
 どうだい、というような眼付で村田は周平の顔を窺った。
「字はまずいそうだが、句はたしかになってるだろう。それで竹内の奴、一度にぎゃふんさ。所が面白くしたもんだね。先生その句を大事にしまっておいて、酒に酔っ払うといつも、お清は君カフェーの紫式部だぜ、実は内密だが……といった調子で、それを披露して歩いたものだ。そうなると、自棄になってるのか、惚気《のろけ》てるのか、諦めをつけてるのか、それとも内々予防線を張ってるのか、訳が分らないやね。その頃僕達はよくあの家へ行ってたものなんだ。」
 周平が黙ってるので、村田はまた云い続けた。
「然し考えてみりゃあつまらない話さ。面白くもない女を相手に、惚れたとか惚れないとか騒ぎ廻って、実はどうでも構わないのを、酒の勢で無理に自分を深みへ引きずり込むんだからね。竹内にしたってそうさ。友人共の手前、また酒の余勢で、むりにああしていたようなものの、実はお清に対してそれほどでもなかったんだろう。やがてけろりとしてしまって、石のつぶても無しのつぶても、冗談の役にきり立たなくなってるんだからね。皆も其後、二階や三階から変に気圧《けお》されるようなあんな家へは、次第に足が向かなくなってしまったんだ。云ってみりゃあ遊牧の群だね」
 周平は初めから注意深く村田の言葉を聞いていた。村田の話には、例によって勝手な創作が多く交っていて、頭の中でうまくまとめたようなふしがあった。が実際は、もっとまとまりのつかないもので、深い根があちらこちらに出ていそうだった。
「君の話を聞いていると、気持が呑気になっていいよ。」と周平は云った。
「なぜ?」
「話がうまいから。」
「なあんだ、つまらない。……だが、要するに世の中は呑気なものさ。酒を飲めば更に呑気になる。どうだい、何処かへ行ってみようか。」
 然し周平は、酒を飲めば呑気になるどころか、益々気分が冴え返るのであった。平素は投げやりの気持になっていても、身体が酒に熱《ほて》ってくると共に、一種捨鉢な興奮が起ってきて、その底からじっと、保子や降吉のことを見戍るのであった。自分自身が堪《たま》らなく惨めに思えたり、この上もなく悲壮に思えたりした。
 そういう気持のうちに彼は、知らず識らずお清へ注意を向け始めていた。固より、彼の仲間は蓬莱亭へ行くことが少かったし、また彼は竹内のことから変に気がさして一人では行かなかったので、お清と顔を合せることはそう度々ではなかった。然し、彼女がどうかした拍子に保子そっくりの眼付をするのが、何となく気に懸った。がよく見ると、保子の眼は黒目がちであるのに、お清の眼は妙に黒目が小さく見えた。それがどうして同じような眼付になるのか、彼には分らなかった。
 四五人で勝手な熱を吹
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