ら、私がこの子を探しに来たのですよ。」と陳慧君はいったそうであります。
けれども、この話とても真偽のほどは分りかねますし、とにかく、陳慧君は相当多額の金を爺さんに与えて、少女を引取って来たらしいのであります。その少女が柳秋雲でありまして、秋雲というのは、爺さんか船乗りかがつけた名前なのか或は元来そういう名前だったのか不明ですが、柳という姓は、爺さんの姓を取ったというのが本当らしく思われます。其の後彼女は陳慧君の養女みたようになりまして、陳秋雲と呼ばれることの方が多くなりました。陳慧君は秋雲の前身については、誰に対しても語るのを避けていました。
陳慧君自身の生活がまた、多くの影に包まれていました。彼女は南京の生れだといわれていましたが、上海のことに大層通じておりました。亡夫は演劇方面に関係のある仕事をしていたという説もあり、または古着を取扱う商売をしていたという説もあります。其の後、彼女は相当の資産を所有して、骨董品類の店を経営していましたが、その店が実は方福山から委託されたものだとか、或は貰い受けたものだとか、いろいろの陰口が囁かれたこともありました。そして方福山との多年の関係は、
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