讃美するもの、中央公園の円桶に飼育されてる金魚を憐れむもの、太廟の林に自然棲息してる鷺を羨むものなどがありました。或る詩には、紫金城の堂宇が黄金色の甍で人目をくらましながら、その投影で北京全市を蔽っていることを描いて、それを時の政府への痛烈な諷刺[#「諷刺」は底本では「諷剌」]としていました。そしてこの一派は、青年知識層の一部から共鳴されると共に、政府筋の注意を惹き、内々の警告が発せられたこともありました。この新新文芸一派のなかでの最も有力なのが、荘一清と汪紹生だったのであります。荘一清は評論も小説も詩もその他あらゆるものを書き得る自信を持っていて、しかもいつも懶けてばかりいました。汪紹生は真面目な詩人で、生活のため図書館に勤めながら孜々として勉強していました。そして高賓如大佐は荘家の親しい知人で、新新文芸一派に常々好意ある声援をしていました。――それ故、この三人を含めた方福山の招宴には、何か裏面に意図があるかも知れない、と汪紹生はいうのでした。
 荘一清は笑いました。
「そういうことは、君の論法を以てすれば、われわれに全く無関係なことじゃないか。方福山にどういう意図があろうと無かろう
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