る理由が分らん。」
荘一清はなにか曖昧な微笑を浮べて答えました。
「だから、気まぐれな思いつきの招待だろう。ただ御馳走になってくればいいんだ。高賓如大佐も招かれてるそうだ。高大佐とは君は暫く逢わないだろう。僕の父は行かないそうだから、気兼ねする者はないし、高大佐と三人で、勝手に飲み食いし饒舌りちらしてくればいいさ。」
「高大佐も来るのかい。」
「そうだよ。」
「おかしいね。」
「おかしいことはないさ。高大佐は呂将軍の参謀で、帷幄の智能だから、一緒に来てもよかろうじゃないか。」
然し、汪紹生は他のことを考えてるのでありました。それは、彼等の所謂新ヒューマニズム運動の小さなグループに関してでありました。数名の青年を中心に、新新文芸という小雑誌が発行されていまして、そこでは、人類意識のなかに於てではなく民族意識のなかに於けるヒューマニズムが提唱されていました。それが文芸の上では種々の形となって現われ、風俗習慣の方面での解放革新が叫ばれると共に、東洋的自然観の探求などもなされていまして、例えば詩を見ましても、※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]和園の輪奐を醜悪とするもの、天壇の圜丘を
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