は、何の髪飾りもなく服も質素でありまして、遙かな白塔に見入ってるその姿は、都塵を離れた清楚さを帯びて、歌曲にふさわしいものでありました。
 全体に、秋の爽かさがありました。
 歌がすんでも、彼女は暫く動きませんでした。荘一清と汪紹生は、爽かな気に打たれたようで、無言のまま歩み寄りました。そして振向いた彼女と、三人で顔を合した時、三人とも、なにか茫然とした恍惚さのなかで、微笑を自然に浮べました。
 召使の者が紫檀の茶盆を運んで、大きな太湖石の蔭から出てくるのが、見られました。柳秋雲は急に、その方へ駆け出してゆき、荘家にいた頃のように、女中の茶盆を受取って運んで来、なにかお菓子を頂いて来るといい置いて立去りました。
 荘一清と汪紹生は、彼女が戻って来るのを、静かな沈思のうちに徒らに待ちました。然し彼女はもう、荘太玄夫妻に挨拶をして帰っていったのでありました。

 その翌日の深夜から、次の朝にかけて、呂将軍の急死が市中に伝わりました。脳溢血による頓死だとのことでありましたが、何か怪しい影が感ぜられて、不安な不穏な空気が濃くなりました。そのなかで、高賓如大佐によって、軍隊の方はぴたりと押えられ
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