いました。今日、も一度、歌をうたいたくなりました。」
 返事を躊躇してる二人をそのまま、彼女は池の中間の小亭へ上ってゆきました。その、「北冥之鯤、南冥之鵬」という聯がついてる小亭からは、遙かに、北海公園の小山の上の喇嘛の白塔が見えました。荘太玄はその眺めをあまり好まず、樹木を植えて展望を遮ろうかといったことがありますが、夫人や一清の反対で、そのままになっていたのであります。その遙かな白塔に、柳秋雲は暫く眺め入りました。
 朗かな秋の青空に、白塔は今、幻のように浮んで見えました。柳秋雲はそれに眼を据えながら、静かにうたいだしました。
 その歌の文句は、はっきり伝えられておりません。それは、柳秋雲が作ったものでありまして、稚拙だが純真で、一脈の清冽さを湛えていたということです。白塔を心の幻に見立てて、それが青にも赤にも紫にも塗られていないことを、淋しみまた嬉しむと共に、いつまでも斯くあれかしと希い、愛情を尊敬してただ黙って去ろう、というのでありました。――その最後の句は、明らかに汪紹生の詩から取って来られたものでありました。
 歌調は単純でしたが、彼女の声は美しく澄んでいました。その時彼女
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