ら。」
「あとの……あああれですか。あれは、僕からいい出したんだから、いかほどでもいいんですが、それじゃあ、十枚下さい。」
 汪紹生が更に十枚の紙幣を差出すと、相手はそれを無造作に受取りましたが、黒眼鏡の奥から視線をじっと汪紹生に注いでいいました。
「これで終りです。約束は守って下さいよ。つまり、後の分ですっかり帳消しです。あなたが僕から一件を受取ったことも、僕があなたに一件を調達したことも、凡て無かったことになるのです。忘れたのでなく、そのようなことは無かったのです。宜しいですか。」
「宜しい。約束だ。」
「約束などもないんです。」
「なんにもない。」
「そうです、なんにもないんです。」
 黒眼鏡の青年は朗かに笑いました。
 そして二人はまた、楊柳の並木にそって湖岸を歩いてゆきました。
「こんどは、用事のない時に来て下さい。御馳走しますよ。」と黒眼鏡の青年はいいました。「あの女は少々ぶざまだが、小蘇姫という気取った可愛いい奴がいますよ。家はけちでも、洋酒は北京第一で、天津にもないようなものを備えています。酔っ払う覚悟でいらっしゃい。なあに、阿片に酔うよりは、よほど健康的ですよ。だが、
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