々やって来たことがあるので、よく見覚えがあったし、東京の住宅よりも印象の深いものがあった。屋根の上に大きく葉を拡げてる棕櫚の風情など、心惹かるる趣きを持っていた。ここに母と妹と共に安らかに住むという予想は、心和かな微笑を催させた。体の疲労も一時に忘れた。
然るに、この家の中に私が見出したものは、大勢の群居生活だった。川原にせよ中村にせよ、私にとって見ず識らずの他人ではなかったが、それでも他の家庭の者たることに変りはない。それらの人々が、食膳を共にし、朝から晩まで鼻をつき合せているのだ。起きてから寝るまで、互に挨拶を交わし、何かの応待をし、顔を見合っている。自分だけの場所、自分だけの時間というものを、誰も持っていない。もとより居室はそれぞれ別であるが、日本家屋というものは、殊に平家建てのそれは、甚だ開放的であって、室は室としての独立性を持たない。だから家中の者すべてが殆んど同室雑居に近い状態となる。各自の一隅というものがそこでは無くなる。如何なる社会的共合生活に於ても、各自の魂の憩い場所となり肉体の安息所となる一隅は存在すべきであって、それが無い時、共同生活は単に動物的群居生活に堕する
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