。だから、川原浩一さんのあの言葉を聞いても、私は顔を赤らめもせず、殆んど胸のときめきも感ぜず、ただ俯向いてしまった。も少しじっとしていたら、私は涙を落したかも知れない。
 今朝、庭に立って、空模様を見ていると、浩一さんがやって来た。椿の木に赤い蕾がいっぱいついていた。浩一さんはその蕾を二つ三つ折り取って、じっと見ていた。それから、いよいよお別れですね、と言った。私は頷いた。それから暫く黙っていた。すると、浩一さんは言った。
「僕は遠い北海道へ行きますが、あなたのことは決して忘れません。あなたはこの蕾のような人です。もしも、いつかまたお逢いする時があったら、どうか、椿の花のように美しく咲いていて下さい。」
 その言葉を聞いて、私は別に嬉しくもなく、おかしくもなく、なにか悲しい気持ちで、俯向いてしまった。別れが悲しいのではなかった。花のように咲くというそのことが、美しいとか美しくないとかいう事柄を超えて、ふっと胸にこたえたのである。私はかじかんだ蕾のような自分を見た。じっとしていると泣きだしそうな気がしたから、もう何も考えずに、急ぎ足に立ち去った。
 それでも、私はやはり涙ぐんでいたらしい
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