拵えながら、わけもなく、ふっと涙ぐむことがある。
兄さんが帰ってきた時もそうだった。長い間便りもなく、終戦になっても様子が分らず、ただうち案じてばかりいたところへ、ひょっこり帰っていらした。色が黒く、痩せて、眼ばかりぎらぎら光っていた。私は抱きつかんばかりに喜んで迎える筈だった。ところが、どうしたのだろう、口も利けず、ただ涙ぐんでしまった。その涙は、嬉し涙とはちがっていた。もっと複雑な変梃なもので、悲しみさえ含まっていた。軍人である兄さんを通して、わが国の敗戦をじかに感じたからでもない。戦争そのものは私にとっては、ほんとは縁遠いことのように思われたのだから。そんなことより、なにかもっと大切なものがあるようだった。それが何であるかは、今もまだはっきり分らないけれど、ただ、人間というものに、直接に繋がりのあることのような気がする。兄さんを見た時、その大切なものがはっと胸に蘇ってき、胸を衝いて、私はへんに悲しかったのである。
大切なものが、長い間踏みにじられていた、忘れられようとしていた。今でもそうではあるまいか。それがへんに悲しいのである。
そうした悲しみに、私は囚えられているらしい
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