面目なことを考えてるんだ。この河に、昔から今まで、幾人の人間が溺れ死んだか、そしてこれから、幾人の人間が溺れ死ぬだろうかと、真面目に考えてるんだ。なあ重兵衛さん、たくさん溺れたろうね。」
「さあ、どんなもんだか。」
 重兵衛爺さんは気のない返事で、もう渡し舟の綱を解き初めていました。
 満々たる水が、夜目にも仄白く、ゆったりと流れていました。一同が乗りこむと舟はすぐに出ました。
 元彦は外套をぬぎました。そして、赤いコートの下に臙脂の矢羽根の着物の襟をかき合せている加代子の、ほっそりした肩に、それを着せかけてやりました。
「俺の最後の親切だと思えよ。」
 だが、その最後というのが、どうやら別な物を指してるようでした。彼は嬉しそうに微笑しながら、服の脇ポケットから、四合瓶を一つ取り出しました。八分目ほど焼酎がはいっていました。他方のポケットからは、大きな盃が二つ出てきました。
「重兵衛さんも少し休んで、さあやりなさい。」
 河の流れは極めてゆるやかでした。重兵衛爺さんも元彦にひき入れられて、焼酎の盃を手にしました。元彦は二三杯飲み干すと櫓を取って、川上へと舟を向けました。少し漕ぎ上ってお
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