へ戻った。
 こんな時、昔の二人だったらいろいろなことを話しあったに違いない。その習慣も失われてしまった。群居生活の故だろうか。それもある。然し他にも理由があることを俺は感じた。
 あの河岸で、妹は、全く見ず識らずの他人をでも見るような眼眸で俺を見た。そういう眼眸に、俺は時折出逢うことがあった。そのような時、妹はなにか空虚のなかをさ迷っていたのであろう。その空虚は、遠くに在るのではなく、自分の心の中に在る。俺の心の中にもそれが在る。何かが崩壊して、その後に出来た空虚なのだ。何がいったい崩壊したのか。ただ人間的なものというだけで、まだ俺にはよく分らない。終戦後に俺はそのことを漠然と感じた。今はも少しはっきりとそのことを感ずる。妹もそのことを感じてるに違いない。妹のあのしばしばの涙はそこから来るのであろう。
 このような妹に対して、川原浩一はよくもあんなことが言えたものだ。たとい愛情の表白にしても、椿の蕾だとか、椿の花だとか、手近にあったものにもせよ、よく言えたものだ。牡丹の花とは限らないが、梅の花とか桜の花とか、せめて水仙の花ぐらいならまだよい。椿の花なんか、赤い頬をした肥っちょの田舎娘
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